死にもっとも近いやさしい手触り(2011年ある秋の日記)

①蕎麦を食べに街に出かけたはずなのに
気付いたらかつやでカツ丼(梅)を食べていたり、
②朝、出社する前、玄関で「いってらっしゃい/
いってきます」の口づけをしたのに
その13,4時間後には
赤ワインを飲みすぎたせいもあるのか
別の男の上で腰を振っていたり、
③お勤めする時、ワイシャツの下に着る
アンダーウェアをすべて、首のリブの細い
サンスペルの白のTシャツにしようと
Bshopとか伊勢丹とか駆けずり回って
同じものを半ダース買い揃えたのに
その次の次の日に自殺してしまったり、
 
程度の差はあるが人はそれぞれが
それぞれの虚無を抱えて生きている。
 
かつやのカツ丼(梅)を大きく超える虚無は
無いという人もいるだろうし、
常に大虚無に振り回されて人生の大半を
棒に振る人もいるだろう。
 
雨の土曜日、八丁堀の駅から霊岸島の方に
橋を渡った。週末・夜・雨のビジネス街。
人通りはほとんどなく、
雨で濡れた路面を走り過ぎる車が
数台あるばかりだ。
 
新川二丁目の交差点を右に曲がって
佃の方に向かって歩く。
雨脚は弱いが、傘を持っていなかったので
少しずつ体が濡れていく。
 
中央大橋で川幅の広い隅田川を渡り
佃島へ。ほとんど雨宿りにもならないが
佃公園の木の下で時間をつぶす。
何もしなければいけないことはないのだ。
いや、あったな。
友人に頼まれていた書き物でもしようか。
以下、雨の闇の中、木の下で書いた文章。
 
「日が暮れてしばらくが過ぎた。
大きな川がいくつかの川に分かれて、
また別の川が大きな川に合流していて、
その上にいくつも橋が架かっている。
たくさんの川がありたくさんの橋があった。
闇をたたえた川の流れに街燈や
それぞれの生活の灯がゆらゆらと照らされている。
オレンジや黄色、そして緑の灯が
ゆっくりとした流れの中で、
ぼんやりとその光を灯しているのが見えた。
橋の上から、そんないくつもの灯火を
彼はずっと見ていた。川の向こうの闇から
小舟が小さい灯りと共にこちらの方に進んでくる。
その針路の軌跡で川面に反射した
ほのかな灯りにさざ波が立つのを見た。

 

しばらくすると驟雨が来た。
雨つぶが大きな川を覆う闇を満遍なく打った。
ゆらめく水面の灯りは、
かすかな光をたたえたまま
無数のしずくになった。
アスファルトが濡れたにおいがする。
彼も、中州にある公園の
大きな木の下に雨宿りをした。
そこからどこまでも微細な雨に打たれる
川の闇が見えた。彼は待っていた。
雨があがるのをいつまでもそこで待ち続けていた。
いまなら彼にもはっきりとわかった。
帰る場所なんてどこにもないんだって。
自分を受け止めてくれる人なんて
どこにもいないんだって。」
 
しみったれてるけどまあこんなんでいいか。
書き終わってふと隅田川を見る。
夜の闇に静かに降っていた雨はもう上がった。
川で小さな魚が一匹跳ねる音が聴こえた。
周りを見渡す。誰もいなかった。
自分だけがこの音を聴いたんだなと思った。
この音を聴いていたのはぼくだけなんだ。
 
優れた投資家が常に適切に
リスクを管理しているように
ぼくも常に適切に虚無を管理したい、
とふとひらめいた 。
でも虚無の管理なんてどうやってするものなのか。
そもそも可能なのだろうか。何もわからない。
でもそれでよかった。
課題が困難なほど、都合がいい。
時間つぶしをしたいだけなんだ。
 
ぼくもふと気がつくと
いつサンスペルの白いTシャツを
半ダース揃えだすかわからない。
こわい。おそろしい。
手に入れたその日は、
酒好きが口からおちょこを迎えにいくように
やさしい肌触りを確かめようとぼくも
顔面から純白のやさしさを迎えに行くと思う。
「クゥーッ!」とか言いながら。
でもその次の次の日以降、ぼくはどうしてるかな。
そんなことは誰もわからない。
ぼくにも誰にもわからない。
 

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