雨の夜明け

テントの中に寝そべって、ミシェルは夜明けを待っていた。夜の終わりごろ猛烈な雷雨が訪れ、ミシェルは自分が少し恐怖を感じているのに気づいて驚いた。やがて空には穏やかさが戻った。しとしとと雨が降り始めた。彼の顔数十センチのところで、雨粒がテントの布地を叩き、鈍い音を立てていたが、雨に濡れる心配はなかった。突然彼は、自分の全生涯は今のこの瞬間に似たものとなるだろうという予感に襲われた。人間たちのさまざまなエモーションの中を自分は渡っていき、ときにはそれに巻き込まれかけるだろう。他の人間たちは幸福か、あるいは絶望を知るだろう。だがそうした事柄が、自分にとって真の問題となったり、自分を動じさせたりすることは決してありえない。

ー『素粒子ミシェル・ウエルベック 

12月9日

潮が引くように気力が衰えていく。座って、ゼムクリップを五分間じっと見つめる。昨日のこと、フリーウェイに乗ったら、夜の闇が黄昏に取って代わろうとしていた。霧が少し出ていた。クリスマスが銛のように急激に迫りつつあった。突然わたしは車を走らせているのは自分ひとりだけだということに気づいた。するとラジエーター・グリルにくっついている大きなバンパーがわたしの目に飛び込んできた。道路のど真ん中に転がっている。即座にそれをよけ、それから右手を見た。四台か五台の車が玉突き衝突を起こしている。しかしすでに静けさに包まれ、何かが動いている気配はまったくなく、あたりには人もいなければ火も煙も出ていず、ヘッドライトも点いていなかった。車に誰か人が乗っていないかどうか確かめるには、わたしはスピードを出しすぎていた。それから一瞬にして黄昏は夜になった。時として何の前触れもないことがある。一瞬のうちに何かが起こってしまうのだ。すべてが変わってしまう。生か死か。そしてすべては何事もなかったかのように続いていく。

ある人たちは夜には

 「おまえには若さと確信と仕事がある」

年嵩のウエイターが言った。

「おまえは何でも持ってる」

「あんたには何が欠けてるって言うんだ」

「仕事以外の全部だ」

「あんたはおれが持ってるものを

全部持ってる」

「いや、おれは確信を

もったことはないし、若くもない」

「いいかげん、ばかなことを言うのは

やめて、鍵を掛けてくれ」

「おれは夜遅くまでカフェにいたいほうの

人間なんだ」

年長のウエイターが言った。

 

「ベッドに入りたくない奴は

みんなおれと同じ人間だ。

夜に照明が欲しいと思う人間もそうだ」

「おれは家に帰ってベッドに入りたい」

「二種類の人間がいて、俺達は種類が違う」

年長の方が言った。

 

かれは家に戻るために着替えていた。

「若さと確信の問題じゃない。

そういうのはずいぶんといいもんだが。

おれは毎晩時間がきて

店を閉めるのがいやだ。

カフェを必要とする人間が

いるかもしれないから。」

「なあ、酒場は一日中開いている」

「分かってないな。

ここは清潔で感じのいいカフェだ。

照明も申しぶんない。

照明が素晴らしい上にいまは葉陰もある」

 

「おやすみ」

若いほうのウエイターが言った。

「おやすみ」もう一方も答えた。

 

かれは電灯を消しながら

自分と対話をつづけた。

もちろん照明が必要だ。

しかし清潔であることも、

感じがいいことも必要だ。

おれは音楽は欲しくない。

たしかに音楽は欲しくない。

この時間に開いているのはバーだけだが

バーの重々しいカウンターの前に

立つことには耐えられない。

おれは何を恐れているのだろう。

いや、恐れているのでも

怯えているのでもない。

 

無を知りすぎているのだ。

すべては無で人間もまた無だった。

ただそれだけの話だし、

それに照明がとても必要なのだ。

それから清潔さと秩序が。

ある者はそのなかで生きられる。

けど気づくことはない。

しかしおれは知っている。

 

ー『清潔で明るい場所』アーネスト・ヘミングウェイ 

 

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あらゆる依存の最後へ

GD.たどりつきたいと思うのは

“最後の一杯”だ

文字通り“最後の一杯”に

何とかしてたどりつくこと

そこが興味深いところだ

 

Q. “限界”のことですか?

 

GD.“限界”とはなにか・・・

難しいところだ

こう言おう

 

酒浸りになるというのは

飲むのをやめようとし続けることだ

 

つまり彼は“最後の一杯”を

やめられない

 

どういうことか

 

ペギーのとても美しい定式に

少し似ている

 

“最後の睡蓮が最初の睡蓮を

反復するのではない”

 

“最初の睡蓮がそのあとの

すべての睡蓮を反復する”

“最初の一杯”が“最後の一杯”を

反復する

 

だから“最後”が重要だ

では酒浸りの人間にとって

“最後の一杯”とは何か?

 

ー『アベセデール』ジル・ドルゥーズ

 

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白鳥は死の前に歓喜の歌を唄う

Q.やがて自分にも死が降りかかると悟ったのは、いつ頃ですか。

フランシス・ベイコン- 一七のときです。

はっきり覚えています。舗装道路に犬の糞があって、

それを見ているうちに突然思ったのです。

これだ、人生とはこういうものだ、と。

おかしなことですが、それから数カ月間悩みました。

そして、言ってみれば、事実を受け入れたのです。

自分は今ここにいるけど、存在しているのは

ほんの一瞬であって、壁にとまっている蠅のように

たちまちはたかれてしまうのだ、という事実をです。

 

「フランシス・ベイコン・インタヴュー」

 

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希望でも絶望でもない「通路」

自宅と通院する精神病院の間の風景を

撮りためた写真たちで編まれた写真集

出版前に作者は自殺してしまう

 

「もう『希望』を消費するだけの写真は

成立しない。細い通路を見出して行く作業。

写真の意味があるとすれば、

『通路』みたいなものを

作ることができたときだ。

『通路』のようなものが開かれ、

その先にあるものは見る人が決める。

あるいは、閉じているのではなく、

開かれているということ」

 

「生まれては消えて行く、猛スピードで

明滅するこの時代のスピードに、

言葉は追いつけない。

ある段階でその閾値

超えてしまったように思う。

写真はそのスピード感を摑まえる

作業に向いているけれど、

実は誰もなにも摑まえられないのだ。

それでもあきらめず、

『通路』を見出し続けることが大切。

いや、大切とすら本当は思っていない」

 

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飛びかう石のした

-  両義的、多義的なアプローチをもって
作品を制作する時、
心に留めていることはありますか?
 
WT   1枚の写真の中に、あるいは
シリーズの中に、さまざまなものが
混在するのを許すことです。
これに耐えることが重要です。
「耐える」というのは、完全に受動的に
受け入れることを意味しています。
ややもすればニヒリズムに陥る
危険性もありますが、
多種多様なものに関心を持ちながら、
投げやりになることなく、
凡庸にもならず、
斜に構えることなくいること。
これこそが自分が挑むべき挑戦です。
 
イデオロギーの善悪をふりかざし、
間違ったものに対して戦いを挑むことは、
実はとても簡単なことで、
物事の複雑さをそのまま受け入れ、
耐えることの方がはるかに難しいものです。
(…)耐えることの他にあり得る態度は、
身を引くことです。
 
(…)世界のことを考えはじめると、
もちろん厄介なことを
たぐり寄せることは避けられない。
それでも否定も肯定もせずに
一旦受け入れた上で耐え、
観察し続けること。
今のアートの世界には
そうやって世界を考える作業が
まったく足りていない。
でもぼくはそのことに
踏み込み続けるつもりです。

ヴォルフガング・ティルマンス

 

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