light my fire

離島への出張中にコ口ナに罹患してホテル幽閉生活送ってる年下の友達からお願いLINE。一年に1〜2回会えばいいおっさんによくこんなこと頼むよな〜。恩忘れるタイプでほんとよく首絞めたくなるけど。まあ50mプール溢れるぐらいは一緒に酒飲んでるしええかってかんじで

 

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出会った頃はよく「終電くるので帰りますね」とか言われてたけどその度に「え、新聞配達のバイトはじめたん?」とか「ママのおっぱいの時間か?」とかのハラスメントな返しをしていた。でも気付けば結局プール何杯分もふたりで飲んで、「それ他人に言わなあかんことか?くだらなさすぎる」みたいな些細なことから「それ他人に言ってええことか?そんな無条件に自分の抱えてる問題をさらけださなあかん?」ていう人生上に起こることすべて毎日何年も報告入れてきたりしてる。人間と人間の関係てなんすかね。その二人だけにしかわからんことてありますよね。そういう分かちがたい真に親密な関係を築ける人は恐ろしいほど少ない。尋常ならざる料簡の狭さなんだろうぼく自身が。大切なのはその人が、賢しことかアホとか鋭敏とか鈍感とかではなく、その人そのものをどれだけぼくにぶつけてくれるかなんだろうなって。そしてそれが非常にむずかしい社会になってると思います。神経過敏と自意識過剰の大クレーム時代だもん。嫌だったら退場せいやて話なんでしょうが。その準備を進めています

思考思考

「ゆんくん!ゆんくんやん!久しぶり〜」

 

普段行かない離れた街で一息つける珈琲屋を探していると、乳児を抱いた女性に呼び止められた。昨日の話だ。目線を合わせ顔を見てみるが見覚えはない。ぼくのような愛を知らない孤独なおじさんに街中で近付いてくるような人間は、ほぼ間違いなく宗教勧誘か押し売りか、かっぱらいのいずれかである。警戒度を高める。

 

「いややなー、覚えてないんでしょ。ほんま気悪いわー」女性はほがらかに二の矢を放つ。「いやいやいや、さすがに忘れはしないでしょ。そこまで人でなしじゃないですよ。元気してた?」と慌てて返す。相変わらず誰なのかは一切思い出せなかったのだが。

 

「てか、子ども産まれたんだ。かわいいね。名前は?」どうにかノリで押し切らねば。笑いながら幼子の頬を愛撫する母。時折ぼくは、愛がふとした仕草に具現化されて表れるのを見る。うれしくもなり苦しくもなる。自分には不可能だからだとおもう。

 

「出産は大変だった?」「そりゃ大変だったよー。16時間もの」とお腹をさすりながら苦い顔を作ってそのすぐ後に笑顔を作る。ぼくはここまできたところで、そのクソガキの胸ぐらを軽く搾り上げながら「聞いてたかー?15年後、お母さんに反抗期とか言うて舐めた真似してたら許さんからなー」とやって母親が笑うといった、子連れの母親になった友人たちに絶対やる超十八番中の十八番をカマして主導権を握ろうと試みた。

 

「ゆんくんは本当に相変わらずだねー、でも元気そうで良かったよ」とNHKのラジオ英会話とかでありそうなくらい薄っぺらい型通りの再会のダイアローグを、お互い「またね」と言い合い終わらせることにした。

 

帰りの電車でさきほどの会話を思い返す。だがやはり彼女が誰なのかは思い出すことはできなかった。自分のあずかり知らないところで、日々数え切れられないほどの小さい命が生を受け、また全く別の数え切れられないはかない命がこの世界から消え去っていく。かけがえのない命なんて言葉はただのまやかしだ。これ豆な。

 

夕方前、自分にとってかけがえのない命のために己の身を捧げようとしている友人と待ち合わせをする喫茶店へと向かった。世界にとってかけがえのない命なんて存在しないが、誰かにとってかけがえのない命は確実に存在する。

 

待ち合わせ場所のその喫茶店は、店内の内装や設備は全般的に古びて傷んでおり手入れもされていないが、椅子が低くクラシックがいつもかかっていて、いつ行っても席はあるので休憩するのによく使っている。煙草吸えるしね。いつ誰との待ち合わせでもそうするように数十分早く到着する。以前の自分は違った。10回待ち合わせたら7〜8回は遅れていた。年月が流れてある部分が変わった、ただそれだけだ。

 

あまり前から待っていた感じをみせても気を遣わせてしまうだろう、という気遣いからコーヒーには手をつけない。BICのライターで煙草に火をつける。しかし一度ではうまく火がつかない。その時にようやく思い出した。「あっ、パツイチズッコンしてトンズラこいてもた女性やわ、今朝のあの人・・・。」

 

少し狼狽してしまったのだろうか。しばらくは煙草に火をつけることはできなかった。まだ東京で働いていた時。帰省のタイミングで友人から「ゆんくんに会ってほしい人がいる」て言われてその友人も含めて3人で飲んで、初めて会ったその日に一度だけ寝具を共にして、という穏当な表現を改めるなら、初めて会ったその夜に中出ししてそっから連絡ブロックした女性だった。会って欲しい人がいると言われて会って、生理終わったばっかだから中に出して欲しいと言われて中に出す。ぼくは人のお願いを聞きすぎてしまうのかもしれない。

 

お願いや頼み事は大抵望む通り応えるようにしている。なぜか。自分が絶対にしたくないことをしないためだ。絶対にしたくないことをぼくは死守したい。そして人にはやさしくしたい。だから要望はほぼすべて聞くようにしている。ただ絶対にやりたくないことだけは絶対にやらない。そう決めている。これは結構効果的で、自分の周りにいる狂人レベルの自分勝手極まる人たちも、ぼくが「絶対にやらない」と言ったら確実にイモを引く。ぼくがそう言い出したら最後、話し合いに何も意味がないことを知っているからだ。知らない人は知らない人で面食らうしねまず

 

いつも即断即決を座右の銘としてきた。即断即決に必要なのは、強い意志もそうだが、準備も同じぐらいに大切だ。何をして何はやらないのか。やらないことをしっかり決めていれば、何をいつどの順番でどうやるかだけだから、やらないことをとにかく最優先に自分の中で決めて自分の心に楔を打ち込まなければいけない。ナザレのイエスが十字架に両手を釘打ちされたように。

 

昨日偶然の再会を果たしたその女性とたった一度の一夜を共にした時も終電が過ぎたいなたい飲み屋で「そろそろ腰上げよっか。おれは疲れたからホテル行くけどどうする?」て言ったような気がする。即断即決をしてボールは相手が持っている状況にぼくはいつもしていたかった。

 

翌朝、ラブホテルから東京へと直帰した。新幹線に乗る新大阪の駅までその女性は付いてきた。シャワーでちんちんを部分洗いしているときに外から「(わたしたちの仲を紹介してくれた)〇〇ちゃんになんて言おうかー、これ」とうれしそうな声が聞こえてきて「知らん知らん知らん!」てクソ大きな声出かけてさすがに無礼すぎるからシャワーの水流で自分の口塞いだのとかいま思い出した。

 

東京に戻って数日後、職場の後輩と飲んでいたら机の上に置いていた携帯が震えた。iPhoneの通知にはその女性から「ゆんくん」という4文字だけのメッセージが届いていた。後輩はその画面を見るや白い歯をクソ見せながら「ゆんさんなんなんすかまた色男なメールもらってますやん」と東京人ならではのエセ関西弁を使ってきて関西出身の先輩のぼくを責め立てたが、ぼくはその女性には一度もなんの返信もしなかった。

 

数年後、東京の仕事を辞めて大阪に帰ってきた。こちらで出来た友達の飲み会に行ってみるとその女性がいて震え上がったことがある。即座に大便器の置いてあるトイレに駆け込み「怖すぎるやろ。どこの寒村やここは。どんな狭いんコミュニティ」と東京の後輩ばりのエセ関西弁のイントネーションで奥歯ガタガタいわせながら、やわらかいクソをぶりぶりと大便器に放った。その後も2回ほど複数人の飲みの席に彼女はいた。終電無くなりそうなる度に「明日資源ゴミの日やから」とか舐め腐り切ったいいわけをでっち上げて終電まで走って帰ったりした。自意識過剰な気色の悪い愛を知らない孤独なおじさん。最低最悪だとおもう。

 

久々にあったその女性がいま幸せかどうかはわからない。彼女がぼくのことを「元気そうでなにより」と見たようにぼくもまた彼女のことを表面的にしか見えてないかもしれないからだ。とにかく表層の言葉や仕草だけで何かを決め付けたくはない。

 

年を重ねるにつれ、やらないと決めたことが増えていく。いま彼女と出会っていたらまた違った関係になっていただろう。自ら打ち込んだ釘によって磔刑に処されたぼくはもう酔っても我を忘れても、数多くの絶対しないと決めたことにしたがって生きている。生きづらくはあるが、ぼくはそんな自分を誇れる。年月が流れてある部分が変わった、そしてある部分はいまだ変わらない。ただそれだけだ。

 

ハンキーパンキー、シコろうよ。答えはひとつだけじゃないんだよ。ハンキーパンキー、シコろうよ。誰も君を奪えやしないんだよ。

期間限定結婚生活 #3

特殊能力を持っている。ぼくはもうかなり前からその持ち物を好ましく思っていない。ばかりか疎ましく、というよりは憎むべきタレントだとすら思っている。

 

その特殊能力の中身はこうだ。恋人や(セックスなどもする)フレンドの部屋に遊びに行った時、自分以外の男性の気配を感じとることが出来る100パー。(もし本当に自分以外の男性が本当にその女性の部屋に遊びに来てたらという条件は付くが。)

 

二十歳とかのかなり若い頃には自分が持つ、このいささかオカルトじみた能力に気付いてはいた。最初は混乱したし、疑ってもいた。自分が授かったこのギフトの精確性について。しかし、5年、10年、15年と時を重ねるにつれ疑心は自信に変わり、やがて確信へと至った。最初の頃は、勘づいた時点で問い詰めたりなじったりしたものだった。しかしそれでは有耶無耶に誤魔化されることにじきに気付くようになった。オカルト的なこの感覚を言葉にする経験や見識がまだ備わっていなかったのだ。知らぬ存ぜぬ勘違いでしょのパワープレーでごりごりに押されてばかりだった。

 

それからは自分のこの能力をしっかりと見つめることにした。感覚を論理へと微分していき能力の全貌をしっかりと掌握しようと試みた。つらかったくるしかった。なぜか。だって浮気されてるもん。

 

今では能力が掴み取った気配の違和感をかなり精緻に言語化することが出来るようになった。それを人様にわざわざ開陳したりはしないが、絶対に。

 

そうして泳がす癖がついた。その日は泳がして今までどおりの楽しい関係を続ける。鉄の自制心で猜疑・嫉妬・憎悪と言った強くネガティブな感情を自縄自縛する術を覚えた。なぜそんなことをしていたのか。卑しい貧乏性なんだろう、シンプルに。必殺のカードは早々と切らず常に手元に置いておきたい。てか、手元でその必殺性を更に磨き上げたい。自分が責められそうになった時、その人のことが本当に嫌になった時、一撃で形成逆転して押し切れるカードを常に持っていたかった。オツムの病かなんかなのだろうか。

 

でもそうしてぼくの心は腐ってしまいには何も感じなくなっていったのだと思う。他にもたくさん理由はあるだろうけど。その時々でちゃんと話し合えばよかった。責めてそして許せばよかった。怒って自分の家に帰ればよかった。それらをしなかった。してこなかった。いつものようにヘラヘラ笑って酒飲んでいつものように過去や未来のたのしい話をした。そして同じベッドで寝た。自分のこころに一粒ひとつぶ、ぽつんぽつんと滴が落ちる音にぼくは耳を澄ませることで、とめどなく湧き上がる強いネガティブな感情を抑え込んでいた。それを繰り返して心が死んだんだろう。

 

愚かな彼女たち。ぼくが何に気付いているかについては何も気付かず、無邪気にぼくの身体に触れてきたすべての愚かな彼女たち。ぼくは誰も責めない、ただ待つだけだ。誰も責めず誰も試さず、ただ彼女たちがどうするのかを見続け待つだけだ。強いカードを持ちながら。

 

自分から言い出す人は誰もいなかった。その時は必ずくる。別れの時。カードを切る。どこでどう出るか手に取るように次々とわかる。嘘を重ねる怒る泣く黙る宥める。流れの中で次に何をどう出してくるのかが本当の本当にひとつの間違いなくわかる。その通りにする、全員。人間という種がバカすぎるのか。それともおれが神の子か神そのものなのか。かなりどっちでもいい。どっちでもいいしどっちでもないんだろう。

 

はじめて勘づいた夜、自らの醜い心を縛り上げたのしい時を共有する。そしてふたりで同じベッドを分け合う。何も知らないその女性はぼくに触れてくる。こころの中でゆっくり100秒、数を数える。そしてぼくに触れるその手の手首をやさしく掴む。慌てず20秒また数える。そしてその手をゆっくり、本当にゆっくり彼女自身の胸に運ぶ。また50秒。最後にぼくは手首から手を離す。そして目を強くつむって願う。もう二度と触れてくれるなと。全身に鳥肌を立たせながら。

 

病んだベッドで我々はそれぞれ朝を待つ。寝息に耳を澄ませる。ぼくがいつもそうするように、かなり上手に寝息を立てる演技をしてるだけなのかも。彼女の顔を見つめる。すべては演技で突然パッと目を開けられるのも嫌だなと思い起こして、身体を逆の方に寝返りを打つ。やすらかな寝息は変わらない。暗闇の部屋で夜が与えてくれる孤独に特別な親密さを感じる。ぼくはいつもそうやって夜に縋りついて朝を待ち望んできた。そうして朝が来るとぼくは静かにひとりで部屋を出るのだ。

 

そういうのが何もかも全部、自分の人生から立ち去ってくれて何年も経っている。大変な安堵を覚えるばかりです

堕罪

むかし性別や仲の良さとかを問わず友達に「その服かわええな〜どこの?」て首の後ろに勝手に手回して襟ひっくり返してタグ見て「へえ〜」とかよくやってた。「ゆんがよくやるそれ、なんかエロいなー」て先輩にも苦言呈されたりしてた。服てなんなんすかね。

 

そこで女はその樹を見ると、成程それは食べるのによさそうで、見る眼を誘い、智慧を増すために如何にも好ましいので、とうとうその実を取って食べた。そして一緒にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

 

するとたちまち二人の眼が開かれて、自分たちが裸であることが分かり、無花果樹の葉を綴り合わせて、前垂を作ったのである。

-創世記 第三章六-七節

 

服への頓着がもう本当にない。若かりし日の名残でもう既にヨレヨレになってしまったハイブランドたちと、うんこ漏らしたりゲロ掛けられたりした時に緊急で買うファストファッションたちがワードローブの二本柱で冴えなさすぎる格好いつもしている。あと旅の先々やイベントの度に買い集めるふざけたTシャツか。年収2倍ぐらいなったらまた服への熱が戻ってきたりするのかな。しないような気がする。

 

https://youtu.be/YJkO7EsRuH4

 

きのう服好きの友達に、集合時あなたはいつもこれの数倍速のやつしてる的なことを指摘されて声出してわろてもた。恥ずかしい。の割には服装についての感想を絶対に述べないし、自分はいつもみすぼらしい格好してるし、確かに失礼だよなーと反省したのでした。勝手に襟めくってタグ見るよりはまだマシだが。悪いところを直すのは中々むずかしいですよね。でもやろうとはしているのよ、それが生きてる理由だから

 

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期間限定結婚生活 #1

少し前に40歳になった。四十にして惑わず。というが数年前から全然何にも惑わされていない。自分がすべきことをして、(ほとんどチリのように僅かに残る)自分がやりたいことをする。欲しいものもほとんど何もなくお金に苦しまなくなったし、食べたいものもあらかたたらふく食べてきた。行きたいところはまだ沢山あるけれど、もし時間とお金に余裕があるなら、という条件付きでもう全然おーけー。目の前にぬれぬれのおまんこが待ってますよみたいに寄ってくる人たちもこの数年結構いたように思うがなんかそういう強い欲望に生理的嫌悪を抱くようになっていてかなりゲンナリしながら振り払ってきた(ぼく自身にセックスアピールは皆無だが、やはり無欲が“余裕ある男”に写り、何かしらの魅力だと受け止められるだろうか。はよ教えてほしかったよそれ)。とにかくいまのぼくにおまんこパワーは本当に効かない。

 

「四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして己の欲する所に従えども矩を踰えず」もう惑わされなんかしないし、人の言うことを聞いても割とすぐ理解できるし、のりをこえるようなことはまずしない。この状態で天命を知らないことだけが人生の空虚さを際立たさせている。ぼくは如来を志して修行を重ねる菩薩なのだから、ボルトが100m走でしたような人類の限界の拡張みたいなものを、精神の領域においてすべきということなのかなといまでは自分の天命について仮説を立てている。

 

話がまた逸れた。ぼくはこれまで40年間生きてきたのだが異性と長期間、寝食を共にする同棲をしたことがない。あっても旅行で数泊程度。人生の決して少なくない大部分においてひとり勝手気ままに生きてきたからだろうか、それともまた別の掘り起こしていない自分の内面深くに横たわる問題が原因となってるからだろうか、異性とふたりきりで数日もずっと一緒に過ごしていると発狂しそうになる。これは文字通りの発狂であって、決してトリッキーな自分を演出するための言葉遊びや安易な文字選びではない。3日もふたりで過ごせば、ピンピンに張り詰めたテンションが、ふとひとりきりになった拍子に暴発しクソ大きな声出る。相当なデシベルを持続的に出しながら、大暴れして部屋中ぜんぶひっくり返したくなる。同性だとそうはならないのが不思議だが。本当に好きなんだろうな、異性のことが。本当の意味でさ

 

そんなぼくが1週間ほど女性と暮らしていたことがある、二度。20歳と30歳の時。それぞれ別の女性だ。ハタチの時の相手はホテヘル嬢。どこで出会ったのだろうか、全然思い出せない。ひとつ確実なのは風俗を利用していて出会ったのではないということ。それだけは確かだ。そういうのを必要としてないから当時も当然今も。ただその頃、常時オツムがヘロヘロ状態だったから記憶が本当にない、その周辺何年間か。では気付いたらへらへらと部屋に転がりこんでたのかというとそうでもないだろう。とおもう・・・。その前にデートした記憶があるからだ。

 

真冬の須磨海岸にふたりで出かけた。向こうからはそんな誘いはしてこないだろう、寒いだけだしね。吹き荒ぶ寒風の中、ヘロヘロの頭で砂浜を歩いた。そのうち身体が砂にどんどん埋もれてきて、腰までハマって身動きが取れなくなってしまった。脂汗が一気に噴き出してきたのがわかったが、冷静を装い「だいじょうぶ?砂、腰まで来てるけど歩ける?」と聞いたら「へ?どういうこと」て返ってきた。「どういうことだろうねこれは一体全体」「あはは、ゆんくんて独特だね」「たしかに。おれも独特だしこの砂浜も独特だよね、子どもが歩いたら小さい命は間違いなく奪われてしまうよね」隣を歩く女性からすごく遠い笑い声が響いてきた。「避難しよう」と言って浜に曳き揚げられている船に飛び乗った。手を貸してあげて、その女性も船に乗れるよう手伝った。「しゃがんで。早く。見つかったら撃たれるよ」と耳のそばで声をひそめた。ふたりで並んで三角座りをして空を見上げたら青空のまんなかを一筋の雲があっという間に駆け抜けていった。真冬の空気はどこまでも澄んでいる。空を見上げたまま手を繋いで、まだ撃たれていないことを確かめた。それは既に撃たれた後の亡骸かもしれないとは思ったが。何で初めてのデートにぼくは裸で来てしまったんだろう。急に全裸の自分が恥ずかしくなった。こんなに寒いのになんで全裸なのかな。全然深く知らないその女性を凍死させてしまうとぼくは捕まってしまうかもしれない。怖くなってきた。生きているのか確かめなければ。口づけをする。でも生きてるかどうかなんて何もわからなかった。ぼくも彼女も。

 

そのまま眠ってしまったのだろうか。目が覚めたらプリクラのなかでまたキスをしていた。なんじゃこら。生まれてこのかた2回しかプリクラを撮ったことがないが、その1回目がこの時である。そして40歳になったいま、これを書いているたったいま気付いたのだが2枚目を撮ったのは30歳の時に1週間一緒に住んだあの子とだった。そしてここまで書いてまた気付いたのが、別に2回以上プリクラは撮ったことあるな。記憶てほんまになんなんだろう。ずっと記憶とはなんなんだろうと追い求めているのかもしれない。それはいつだって朝霧のようにおぼろげではかなく

 

時を戻そう。プリクラを撮りゲーセンを出るとそこは中華街だった。どういうこと、こんなことあるんと思って「どういうこと?こんなことあるの?」と聞いたらまた笑っていた。会話が成立しない。ちょっとおかしい人なのかもしれない。ご飯を食べて夜が来た。二人で電車に乗って帰った。彼女は大阪駅から川を挟んで隣の駅にあるマンションの最上階に住んでいたんだけど、その駅が近づいた時に「ゆんくん、家来る?」と聞いてきた。緊張がこちらにも伝わってきたが、ぼくはかなりあっさりその提案を固辞した。「ごめん帰って用事があるねん」と。帰って頭をまたヘロヘロにさせる用事がみっしりと詰まっていたのだ。

 

一緒に住み始めた日に彼女は「そんな人いままでひとりもいなかったからびっくりした」と言っていた。当時からおまんこパワーが効かない耐性◎が付いていたのかというとまったくそうではなく、ただのたまたまだった。父も兄も和歌山県警の警察官だと言っていた彼女。いまや顔も上手く思い出すことが出来ない。というか、本当の正直に言うと名前すら記憶と合ってるかかなりあやしい。いっとき、ただ擦過していっただけの女性。最後に「300円貸して。タバコ買いに行ってくるわ」と言って部屋に置いてあった服とか本とか携帯とか全部そのままにして出て行ってぼくはもうその部屋には二度と戻らずその女性とも二度と会っていない。

 

考えようによれば20年にも渡ってぼくはタバコを買いに行ったまま戻ってないとも言える。戻る場所があるのはよろこばしいことだが、戻る場所が無くなってもまだ出掛けた目的を果たせないでいるのはどういうことだろうか。リーバイスのポケットの中の300円を握りしめて、ぼくは死ぬまでいまのこの野良犬の魂を忘れずに生きていこうと誓った。餌は貰えど尻尾は振らない、飢えた野良犬の。

live forever

風呂に入り終わってドライヤーで髪を乾かしている時、鏡に写った自分の顔がいい顔をしている時がごくたまにある。昨夜がそうだった。純粋さ、知恵、覚悟すべてが何の矛盾もなく同居していて自信に満ち溢れているように見える。実際の内面としてはその状態から天竺より遥か遠くかけ離れてはいるのだが。

 

こんな顔で何かを語りかけられると騙されちゃうよな、と思いながら髪を乾かし終わった。しかし結局のところ誰とも何も語り合うことなく次の朝を迎えることになったが。

 

諏訪湖湖畔沿いに建つその宿は、泉質のすぐれた温泉が湧いていた。長湯で心身共にリラックスできたのが、顔面の表情に好印象をもたらしたのかもしれない。

 

夜が来ると湖の中につくられた人造島から花火が打ち上げられた。顎を上げてひとりでそれを眺める、無心で。クライマックスを迎えてやがて静かになった。穏やかな闇の中で静かな湖面に目を凝らす。すでにしこたまと言っていいほど酒を飲んでいたが、外に出る。湖畔をひとりで歩いた。聞こえるのは自分の足音のみ。夜空を見上げる。星空は輝かない。視界の限り薄く雲が張っているが、半月だけが闇夜のなか鈍い光を放ち薄雲を淡く照らしていた。自分の人生の中でかけがえのないほど大切だった人々。いまでは上手く顔を思いだすことさえ出来ない己の薄情さに具合が悪くなってくる。つい先ほど髪を乾かしていた時に宿っていた確信に満ちた表情はいまどうなっているだろうか。宿に戻った。

 

部屋に戻ると何故かテレビが点いていた。ぼくは自宅ではテレビのコンセントを抜いている。見る必要がないからだ。泥酔していたからはっきりと覚えていないが、時刻は午後10時過ぎだったと思う。テレビの画面ではNHKが学徒出陣の特番をしていた。終戦の日が近いからだろうか。

 

10年ほど前、学徒出陣で戦地に駆り出され運良く生きて帰ってこれた人たちの話を直接一対一で膝を付き合わして聞いた夏があった。その頃で、すでに彼らはアラナイ(アラウンド90のことです)だった。当時、話を伺った方々ももうかなり前にみんな亡くなってしまった。

 

番組ではぼくが当時お話を伺うことができなかった(いま語ることはもう何もありませんと電話の先で断られた)方の最晩年のインタビューがあった。核心的なことは何も語っていなかったが。神宮外苑での合同出陣式で答辞を読み、戦後は官僚や最高学府の教授として要職についた方。当時何を思って、その後は自分の過去をどう捉えていたのだろう。もう誰も知る由もない。

 

学業(というか青春、というか人生そのもの)の半ばで戦地へと駆り出されて散って行った若き魂たち。理不尽すぎる無念や恐怖を思う。「戦争を勇ましく語る人は偽物です」との証言が番組では取り上げられていた。ぼくが表現者として本当に尊敬してやまない映画監督、クリント・イーストウッドも過去のインタビューで同種のことを言っていた(『父親たちの星条旗』みてください)。ぼくは戦争を知らないがその通りだと思う。塵となった無念を、火の粉のかからない場所から身勝手に英雄とする人たちは戦時もいまも居続ける。

 

その番組が終わるとまた別の番組が始まった。吉永小百合の朗読。学徒出陣で奪われたある若い命にあてた老女の手紙。東京藝術大学の学生だった彼は出陣前、当時同年代だったその女性をモデルにして絵を描いた。裸体でただずむ白い肌の女性。うつくしいとおもった。地元に親が勧める許嫁がいたこと、それでも彼のことが好きだったこと、その絵を描くために彼の前ではじめて裸になって恥ずかしさに打ち震えたこと、その男性が戦地へ送り出され二度と戻ってはこなかったこと、そして生涯未婚を貫いた自らの純真について、手紙には何も飾らない率直すぎる言葉で綴られていて、吉永小百合がただそれを朗読している。吉永さんの隣にはその若者が存命中に彼女を描いた絵がただ置かれているだけで、戦後50年以上が過ぎて手紙をしたためた老女の姿も、ありし日の美学生の姿もテレビでは映し出されなかった。残された一枚の絵、そしてその絵が描かれて半世紀経ったのちに書かれた一枚の手紙の(それを綴った本人とは別人である吉永小百合の)朗読のみで映像が綴られていく。次から次へと涙がこぼれ落ちた。記憶と記録は何を残して何を消し去るのだろう奪い去るのだろう。番組が終わってすぐにテレビを消した。

 

真っ暗な部屋でずっと声を上げて泣いた。一晩中、その涙は止まらなかった。朝まで泣き通すなんて、前回がいつだったかも思い出せないくらいだった。枕がびしょびしょになって裏返した。一度、目の前から去ってしまうと二度と戻ってはこない命。一度壊れてしまうと二度と元に戻りはしないこころ。記憶と記録は何を残して何を消し去るのだろう。暗闇では無い光が窓の端から差し込み出して、カーテンが少し開いていたのだなと気づいた。布団から立ってカーテンをきちんと引く。部屋の暗さはまだ保たれている。番組が終わってテレビを消してから、自分の人生の中でかつてかけがえのないはずだった人たちを思い出していた。その人たちの顔をもう上手く思い出せない自分の薄情さを呪う。時計を見る。6時13分になっていた。そしてようやくまどろみが訪れた。夢を見る。大海で溺れる夢。黒く荒い波に揉まれて深くへと引き込まれる。窒息の苦しさはない。怖さがまさった。動悸と共に目を覚ます。時計を見る。6時16分。3分が経っていた。

 

それからは一粒の涙もこぼれなかった。でも眠りはついぞやってこなかった。朝が来て湖畔を歩いた。また始まろうとしている夏の一日の気配はたしかにあったが、まださわやかな冷たさのある風が残っていた。宿に戻って温泉に浸かる。風呂を上がって髪の毛を乾かす。鏡の中の自分を見てみると、昨夜と同じように純粋さ、知恵、覚悟すべてが何の矛盾もなく同居し、自信に満ち溢れている顔があった。最後なのかもしれないと思って、記憶に留めようと思った。そういうのに成功したことはないのだが一度だって

 

萬代橋にて #1

山のように溜まっていた仕事をどうにか片付け、深夜、会社からタクシーに乗って当時住んでいた浅草のマンションに帰った。寒さの厳しい1月末。触れると痛みを感じるほど冷え切ったドアノブを回して玄関の扉を開ける。キッチンにあるイケアのポエングに鞄を置く。自室とは別のドアをノックする。同居生活を始めて1年が経っていたはずだったが、既にそれはかなりめずらしいことだった。

 

「どうしたの、こんな時間に」寝癖を立てた友人がドアを開ける。「いや、頭ん中に虫がさ。虫が結構わいちゃって。一緒に歩いてくんない?寒さで虫もちょっと死んでくれると思うから」

 

やさしい友人は黙って一度部屋に引っ込み、しばらくするとコートとマフラー、手袋をしてキッチンへと出てきた。凍てつく真冬の深夜の道。ふたりで無言で歩いた。最初はスカイツリーの方へと、隅田川まで出ると水の流れる方へと遡っていった。3時間後。すっかり歩き疲れた我々はどうにか帰宅し、ふたりでエレベーターに乗り込む。ようやく喋ることができた。「まだ寒さ足りないみたいだから、明日からちょっと新潟行ってくるわ、1週間したら帰ってくると思う。きょうはありがと」

 

キッチンでおやすみを言ってふたりはそれぞれの部屋へと戻った。

 

暖房もかけない暗く冷え切った部屋で布団にくるまりながら、一睡も出来ずに天井を見つめる。やがてカーテンから濃紺の淡い光が部屋をぼんやりと薄く染めていくのがわかった。朝が来たのだな。まだ動き始めていない街の音が聞きたくて窓を少しだけ開ける。冷気がいっきに吹き込んでくる。部屋の明かりはつけず、カーテンを開けてぼくは旅支度を始めた。時々かじかんだ手に白い息をかけながら。

 

 

いくつものトンネルを次々と置き去りにしながら新幹線は走る。遅めの正月休みとして貰っていた1週間の休暇を新潟旅行へとあてることにした。

 

I don't wanna be with you

独りの時間が長ければ長いほど言葉は磨かれていくが社会性は削られていく。最終的にはキチガイの化け物になる。


人と長い時間話してる時にいつもハッと気がつくんだけど、ぼくはまず人の目を見て話をしてないですね。喋る時も聞く時も。何ででしょう。怖いのかもしれないですね自分以外の他人が。


あ、でも嘘つく時だけ目を見て話してるかもな(むかーし、男性は嘘をつく時に目を合わせないと聞いたことがあって、その逆張りであえて)。話はちょっと変わるが贈り物をガンガン即捨てする癖がある。花とか生の食い物とか。人情もモラルもないからガンガン近くで通りかかったゴミ箱に捨てる。別れてすぐの道端に置いてったりとかも結構ある。この前も花もらって別れて5mの自販機の上に花置いてった。そうやって短絡的なことしてるから、贈り物してくれた人にぼちぼち見つかることある。「ゆんくんにあげた@@、道に落ちてあったんだけど・・・」みたいな。問い詰められた場合はどこまでもツッパる悪い癖がある。「え、知らんけど。おれは持って帰ったで。偶然ちゃうん」とか「それかよく似てる別の何かやろ」とか。とにかく全ツッパでどうにか乗り切れるやろみたいな幼稚な思想の持ち主である。その時は当然、目線ガン合わせ。全然逸らさない。目と目で通じ合うやろ?て。とにかく生きてる限りは嘘はつきたくないものである。目線合わせたくないもん。


あと目合わせるパターンは愛する人と話してる時ぐらいか。「いまでも好き?」とか質問しなくても、不安になって疑ったり試したりしなくても目を合わせて喋ってるかどうかで気付けるじゃん、なんでそんな鈍感なの、みたいな酷いことは一切思ったことがないですが。


つまるところ、もうぼくは誰ともちゃんと目を合わして話さないんだろーなーて。


人間なんかやめてさー

地獄で会おうよ

いますぐおいでよ

 

https://youtu.be/REHcxU6Ceas

 

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One summer can change everything

半パンにもうよれよれになってしまったStranger Things(1stシーズン)のTシャツを引っ掛けて、ポケットに文庫本と煙草、スマホだけ入れて手ぶらで歩いて飲み屋に向かう。

 

飲み屋の選定の基準は厳しい。まず座れること(立って飲むのしんどすぎないですか?)、席で煙草吸えること(東京はもうかなり厳しいみたいですね)、焼酎のボトルキープができること(これあるとマジ助かる)、そして店主・店員がペチャクチャ喋りかけてこねえこと。他の接客とか味とかどうでもええのよ(そりゃまあ色んな物が食べられる店ならなお好ましいが)。驚くほど少ないね。基準をすべて満たす店って。ひとりで飲みに行くってことは、自分と向き合いたいんですよねぼくは。普通に本読みながらぽろぽろ泣いたりもしたいし。

 

店主が分別つく人でも客が話しかけてきたりするからそこもまた難しい。「ストレンジャーシングス好きなんですか?エピソード2始まりましたよね」とか「ストレンジャーシングス好きなんですか?エピソード3始まりましたよね」とか「ストレンジャーシングスシングス好きなんですか?エピソード4始まりましたよね」とか毎年のように話しかけられる。絶対女性ですそう言う声かけかたしてくるのは。日本が法治国家で良かったね。法による罰を、それに伴う社会的な制裁を意識しているから、おれはあなたの顔面を殴らない。あとぼくは人を傷つけるのが嫌だから人を殴らない。運が良かったね、お前ついてるよ。てやさしく語りかけながら肩叩きたくなる

 

煙草はいつもガラムスーリヤマイルドてのを吸っているんですが、出先とかましてや旅先では中々売ってるところを見つけるのが難しいから残りの本数が少なくなってきたらかなりソワソワする(家から一番近いコンビニにガラム全種類取り扱いがあるのです!)。生粋のガラマーだから、常にリロード用に複数買いして鞄の中に入れておけばいいのでしょうが、なんかそれだせえなとか意味不明、解説不能な美意識(自意識)があって常にソワソワしてる。だからなのか、ガラム売ってる煙草屋の近くにある飲み屋に自然と通ってしまう。

 

とにかく手ぶらが好きだった10代の頃から。文庫本、携帯、煙草、あとはマネークリップに挟んだ札さえあれば本当にこんなにも頼もしいことはない。そのまま酔い潰れてホテルで寝たり、常に身軽でいたい。自由が好きなんだ。孤独が好きと言うわけではない。それがノーマルてなだけで。でも話通じない人(1万人いたら9995人ぐらい話ひとつも通じないですよね?)と一緒に飲むぐらいならひとりで自分と向き合いながら飲む方がいいなって気付きました。それがここ2、3年かもしれませんね。

 

ぼくはもう誰のことも傷付けたくない。でもそんなことは無理だ。自分で自分の腹を裂くか、山に篭って方丈の庵を編んで自給自足の暮らしをするかしかない。いまぼくは小豆島かどっかに空家買ってそこで誰とも接しないで死ぬまで暮らそうかと本気で考えています。AmazonNetflixあったら結構可能でしょ。

Fuck me I'm sick

22、3歳ぐらいだっただろうか。終電近く、飲みからの帰り際の駅で、当時付き合っていた彼女と待ち合わせをした。彼女の家まで帰る途中、住宅街の暗がりでちんちんをしゃぶってもらった。そしたら7〜8秒くらいで「カキタレと浮気したその足で会いに来てんじゃ、ねえっ、よッ!」とガラ空きのみぞおちにどうしてなかなか見事なボディーブローをお見舞いされて、くの字になって悶絶した。


10代の後半ぐらいから「人生の失敗から何かを学びたいな」と常に思い続けてる。20数年経ったいまでもそれは中々難しいのだが。


数日後、年下の彼女に「あの日なんでわかったん?」て聞いたら「乾いて腐ったまん汁の味しかしなかったからな。いい歳して頭沸いてるだろ?」と言われた。なるほど。おちんちんをおめこに入れた後は水洗いしなければいけないのだな。またひとつ人生の失敗から何かを学び取ったというわけだ。それからはどんなことがあってもちんちんだけは洗うようになった。洗ってちんちんだけドライヤーで乾かす。もしそこにドライヤーがあればの話だが。


そう、ドライヤーがない場合も度々あった。30歳も過ぎ結構脂が乗っていた時期。だらしない異性関係が雪だるま式に増えてって同じタイムラインに5股が走る状態になっていた。深夜の仕事終わりの居酒屋でひとり、小鍋を突きながら指を広げ改めて数えてみたら5股イッてるなと気付きこれはどうにか整理清算した方がいいなと心底思った。思ったけど、同時にあと3だけ増えたら八股になってヤマタノオロチなれるやんとも思った。そっから結構本気で頑張って少しの期間だけではあったが無事ヤマタノオロチになった。


オロチ時代のクリスマス。24日に3set、25日に2setてあった。90年代のエアロスミスとかボンジョビの来日公演よりハードやん、外タレじゃねんだからさ。チケットはキョードー大阪から、じゃあないんだよ。walk this wayいうて。とか言いながらset間は多目的トイレなどでちんちんだけ部分洗いをして生乾きのまま飛び出しいの、次の板の上へ飛び込みいのをしたものだった。


女の子のことが好きだった。好きだったから女の子とのセックスが好きなのかと思ってた。でも多分違った。それに気がついてそういう乱れた、だらしない性みたいなのがどんどん減っていった。何しろ浮気をすることもされることもとんでもなく愚かな行為なんだとその結構前から気がつき始めていた。


浮気は魂の殺人である。一度でもいいがそれをされた人の人生はビフォーとアフターで決定的に変わる。ビフォーの段階では備えていた愛への純真なる信仰は根こそぎ奪われる。収奪の後に残るのはこの世で最も醜い猜疑、自己否定。最も大切な自分という存在と、その自分が愛する人との純粋な絆は、奪い去られて二度と戻りはしない。いやそんなことはない、って言う人。おれに説得してみな。出来たら5000円やるよ。つまるところ浮気は魂の殺人以外のなにものでもない。にも関わらず、その犯行の主体者はヘラヘラ、アヘアヘしてるだけ。まじもんのシリアルキラー。恐ろしすぎてやわらかいクソを山ほど漏らしながらガタガタ震え上がってしまう。


パートナーと婚約を済ませて同棲も開始してあとは籍を入れるだけという女性の家に、そのパートナーが急な地方出張だというのでノコノコ行ったことがある。また別の、今朝まさに役所に婚姻届を出したという女性の家にもノコノコ行ったことがある(夫は役所から職場へ直行の通常勤務)。それらの部屋で何が起きたのかはぼくの口からは言うことはできない。おぞましいという単語以外はなにも。


悔いても悔いきれない。罪を背負って生き続けるしかない。もうぼくは殺し合いの螺旋から降りたのだから。


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みたいな話を一連で飲み屋でして、そのあと「でも今ぼくの目の前にいるあなたは違う、真に愛するべき対象をぼくは見つけてしまった」みたいなことを言って、ガードがクッソ堅い女性の極太かんぬきが掛かった扉を何度も何度も突破していたのが6〜7年前である。突破力を磨き上げることはできていたが、ぼくは人生の失敗から何かをまだ上手く学べずにいた。メイウェザーばりの鉄壁のディフェンス技術の持ち主以外には興味がなくなっていた頃でもあった。

 

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一番最初に挙げた元彼女は鉄板すぎる持ちネタを持っていた。「青線最後の生き残りの街娼のモノマネ〜」と題名を読み上げては「みーんな一緒。生意気言ったり一丁前言う男の子もみーんな一緒。ベッドに上がったらみーんな一緒。」てほっそい煙草吸いながらフガフガの口調で言うやつ。泥酔した時などいまでも思い出して声を出して笑ってしまう。でも真理を突いてる。世の中には一丁前のこと、綺麗事を言う人ばかりが溢れてるけど、とことんまで追い詰めて圧をかけてかけきれば、人間の個体差なんてほとんど何もないに等しくなるとぼくは見てきた。生きるのが嫌になるくらい散々。男女問わず、人間なんてみーんな一緒。個性なんて誤差にしかすぎないんだなあとも。


だから、そういうことに気がついてしまってからの1〜2年はもうぼくのおちんちんは排泄の用途でしか使いようがなくなったのよ。おちんちん切りたい。オッパ宦官スタイルだよ。

 

https://youtu.be/hSCkocDDBh4


みたいなことをその時々に出会った女の子とシケた飲み屋で終電きた後もサシ飲みしながらダラダラクダ巻いて、結局持ち帰ってたのが6年くらい前。


そっから3年くらいまでは真実の愛を探してたけど、そんなのはどうしても見つからなくて、というか自分の手で薙ぎ払っていて、もうここ3年は生殖器に限って言うと本当の本当に植物人間です。人生の失敗から何かを学ぶのは本当に難しい


みーんな一緒。一丁前のこと言っても。そうじゃない人間をひとりでも、ほんのひとりでもいいから見てみたい。でもきみたちじゃ無理でしょ、底が知れてるもん。出方が手にとるように分かるし、その通りに動いてくるやんみんな絶対。例外がないのが本当に怖い。追い詰めて追い詰めて追い詰めてそれでもなお本当に驚かしてくれる出方する人いたら5000円やるよまじで。でもいない。出来るとしたらぼくしかいない。やらなきゃ意味ないよ。出来ませんでしたじゃ済まないからな。それだけがいまなおぼくが生きてる理由です。如来を目指して修行してる菩薩なんだよ。これほんと。誇り高い人間でありたいんだよ人生の失敗から何かを学んでさ。やっぱ無理か

 

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瞬間

いつでもそうやって

意味のないこと話して

お互いの距離を

近づけていたいよ

 

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好きな友達とは毎日LINE200通ぐらいやりとりしたいし(してる)、毎晩一緒に飲みたい。急に呼び出されたいし、急に呼び出したい。10代の時からずっとそうして来たからそういう関係が当然しょみたいなのが染み付いてて、自分の現在の40ていう年齢と全然釣り合わない。いまだに傷付けられたいし傷付けたいし、そんなの全然なんにも気にせず解散しないままひとつ屋根の下で寝て起きて次の日もそのまま二人で笑ってそういうのを酒で流して屁こきあって笑い合いたい。飲み屋や部屋で大きい声でお互いを罵り合って次の日気まずさMAXでごめんねて謝り合いたい。血眼になって自分の被害探すの嫌すぎる。値踏みとか駆け引きとかもとんでもない。

 

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世界は無菌室ではないしICUでもないとわかってる人たちと死ぬまで一緒に笑い合っていたい。だけど、出来ない。この世界は狂ってる。狂ってるのはおれじゃないたぶん。たぶんだけど、この世界が狂ってる。でもそうじゃないんだなやっぱり。知ってるんだよおれが狂ってておれが退場すべきてことはさこの世から。

 

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わたしを離さないで

外で雨が降る夜。午前2時を超えてようやく浅い眠りにつけた。日本海沿いの温泉地に一人旅に来ている。夜。観光施設の二階から真っ黒な日本海を見つめる。陸橋を渡り、海側の方へ降りる。黒く巨大な波を海を感じたかったのだ。私の後ろの方から家族連れの声がする。私が先ほどいた二階の観光施設のところに、母親と小さな息子、そして祖父母たちだろうか、何やら楽しそうに話している。もしかすると、、わたしは陸橋ではなく道路を横断し、観光施設の方に戻る。一階から二階を見上げる。やはりそうだ。20代に付き合った彼女。別れてから一度も会っていない彼女がいた。ここからでは二階は暗く、姿ははっきりと見えないがそうだと思う。バレたらどうしよう。鼓動がする。二階からは死角になる一階の影の方に移動する。色んな考えが次々と頭の中をめぐる。すると向こうの方から、上にいたはずの彼女だけがこちらに向かって歩いてくる。暗くて顔はよく見えない。まだバレていないと思い顔を後ろに背けた。しかし彼女は歩みを止めない。ゆんくん。照れているのか何か可笑しいのか笑いながら、私の袖に手を触れようとするのを触れられたくないと払ってしまった。宙を空振り。結局は触れない。私たちがここに来ること知ってたんでしょ。いや、そんなことはない。ない。ずっと言いたかったこと、若さが萎れて臆病さや心の繊細さが消え失せたいまなら言えること。ちゃんと言わなきゃ、ちゃんと責めないと。壊れてしまうことがこわくて触れられなかったあの裏切りをちゃんと責めないと。あの頃できなかった言葉をいま。でも胸が詰まって声が出ない。何か言わないと。何か。あの時言えなかった、何も言えず最後に過ごした夜のことを、最後の日々のことを謝らなくては。そして目が覚めた。闇。夜。外では雨の音。天井を見上げる。暗くてよく見えない。ピンポンとチャイムの音がした気がして、そっと廊下に出る。こんな夜中に誰が。おかしい人ではないか。静かに音を立てず廊下に出て玄関の方を見る。もうチャイムは鳴らない。真っ暗な部屋に戻る。雨の音。暗い闇。布団に寝転ぶ。携帯を見る。未明の午前3時半。雨の音に耳を澄ませると、聞こえるはずのないチャイムの音が何度も耳でこだました。何度も何度も。雨が止み朝が来るまでずっとずっと。

 

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Kids will be skeleton

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男8 女2

 


火2 海、天

風6 月、火、土、冥 / 日、水

地1 金

水1 木

 


■基本的な性格


言語能力・コミュニケーション能力に長けています。若い頃は人と関わること、特に初対面・年長者・上司などに対して、苦手と感じるかもしれません。ですが、その苦手意識は立場の違いや気持ちがよく見えている・よく想像できるということでもあり、そのことを考慮しつつ純粋に意思そのものを伝えてみたい、という気持ちの現れでもあります。また会話・言語能力において、そこそこ・程々のものに満足できません。冴えて新規なもの、かつ正確な言葉(言い方)に魅かれるでしょう。饒舌・立板に水というより、必要・的確なことを言い当てるタイプ。そういう理想に照らし合わせて、言語感覚が磨かれていき、その場の誰も気付いていないことを冷静に気付いて改善でき、同僚や共同作業者に分かりやすく話すこともできます。なので気付いたことについて、なるべく口火を切る・きっかけを作るといいでしょう。


何か独特な趣味・対象に没頭しやすく、それについて口外せず、また人の意見を聞きたがらない傾向があります。人より俯瞰で物事を見ますが押しは強くなく、また突然に気が変わりやすいところがあります。極端な感情・体験を求め、危険を顧みず、身体の声を聞けないところがあり、危なっかしいのですが、周囲の人も何となくそんな性格を許してしまう・保護することになります。また本人自身、なかなかしぶとくタフです。若いうちは行き当たりばったりに思えても、興味の赴くままさ迷って下さい。きっと誰かが助けてくれるか、自力で助かります、笑 年をとって次第に落ち着き統合されていき、さ迷った分だけ、器や懐の大きな人になるでしょう。実体験・実感の伴った本来の意味での「知恵」を身に着け、また博識になっていくと思います。


自分から何かを決める・始めるのは苦手で、その分積極的・自主的であったり、気の強い人が寄ってきやすい。人との出会いはかなり多い方で、特殊な・風変わりな人から課題やひいては自己変革を求められます。それに対して柔軟に応えることができ、次第にどんな無理難題にも応えられるようになっていきます。求められていることを瞬時に理解できると同時に、すでに確固とした価値観や美意識を持っていることも大きいです。同時に援護運・人気運もあるので、その他人からの課題を対処することで、いろんなことが発展していくと思います。


元々他人の気持ちが解かるので、他人の感情と自分の感情の区別が付けられないような時があるかも。「大人として、どうこう」などと思わずとも、相手を傷つけるようなことを実はそもそも好みません。極端な感情・体験を求める傾向と、押しが弱く、人を傷つけることを好まないところが合わさり、それが自分を責める・痛めつける方向にいきやすいのかもしれません。社会や他人との関係がダイレクトに見えやすく、かつ極端な出来事が多いこともあり、神経が疲弊しやすいでしょう。が、すでに書いた通り仕事能力がものすごく高いので、そこと折り合いをつけるのは、思ったほど難しくありません。仕事や対人関係については、落ち着いて対処すれば済んでしまうことが殆どです。


なかなか自己評価や、そのさじ加減がつかみにくいところがありますが(何をどの程度頑張っていいのか分からない、など)、人の気持ちをダイレクトに理解できる、どんな要求もこなせる、というのは年をとるにつれより磨かれ安定し、大変な武器になります。また同僚や仕事での出会いは、本音での深いやりとりができる場でもあり、しんどいかもしれませんが、成長につながります。


内面的な資質としては、誠実で優しさがあるのですが、態度や発言など外に表れる生き方としては、かなり生意気であったり、反抗的であったりします。慣習や暗黙の了解に沿わない部分があり、実際そのルールに従わなくても仕事ができてしまうこともあり、確信もあります。周囲との軋轢やストレスを感じるようであれば、そういう生来の部分に原因がある、と気付くと楽になるかもしれません。迎合しないため、ずば抜けた発想力、人よりぬきんでて面白いことを考え付けるので、これを「長所」と受け止め、その独自性・アイデアが生かせるような立場に身を置いた方がいいです。


上に美意識、と書きましたが、感性が年老いることはなく、いつまでも瑞々しく繊細、且つその力や渇望は底なしという配置です。美的センス自体は、流行りものやその場しのぎではなく、時代を超えたもの、普遍的なもの、根底的なものを嗜好しています。仕事でその感性を生かす機会も多いですし(本意のかたちではないにせよ)、それが多くの人の心に訴えることもできるでしょう。そこから本来したかったことへ発展するかもしれません。またこれは裏を返せばアルコール依存の配置でもあります、笑 普通のことでは飽き足らない、という。ので、そのセンスを仕事に生かすか、ちゃんとした形にすること、もしくはお酒以外の趣味を見つけることなど、自分の(涸れることのない)感性とじっくり向き合うことがどうしても必要になってくると思います。

 

 

■タイプの女性像


女性天体である金星・月は、それぞれ牡牛座・天秤座にあります。どちらも支配星は金星であり、金星は美的感覚を現します。なので、異性を好きになる時、ルックスの良さは必須となります。誰から見ても美形だったり、感じが良かったり、まずぱっと目を引く人がタイプです。


牡牛座・天秤座には月・金星合わせて合計7つの感受点があり、かなり美意識は高いですし、客観性も持っていて賢いので、芸術的なことも含めて、目利きとしてとても正確といえます。なので、アート的な才能を持った人に惹かれることも、あるかもしれません。


月と金星は180度で、どちらも木星海王星冥王星と角度を取っています。異性像は、幻惑的な人、スケールの大きな人、ともすれば社会から逸脱した人、かなり極端なギャップのある人、感情の濃い・激しい人、などと読めます。


そういった激しい人に対して寛容なので、相手は居心地よく思うでしょう。根が親切であり、思ったことをそのまますぐ言うタイプではないので態度としては曖昧・混乱しているようにも見えますが、もともと人や世の中に対して並々ならぬ興味を持っていて、観察力に優れているので、実は相手のこともよく理解しています。その賢さや親切さが「ズレ」につながることも、あるかもしれません。


異性像は例えば、初めは可愛らしい印象を受けたけれど、付き合ってみるとかなり振り回されてしまった、という感じでしょうか。また、そういう人にかなりのめり込んでしまいます。極端な感情の中で、ようやく息をつけるような部分が、自分自身にもあります。


この異性像は、異性側が「演じてあげている」という場合もあります。意識的にしろ、無意識的にしろ。若い頃は特にそうかもしれません。ゆん君自身がそういう人をどこかで求めているので、女性が知らず知らずにそれに合わせてしまう、ということです。


上に書いたような女性像(+美的感覚からくる理想像)を、一人の生身の女性に全部託してしまうと、相手にとってはキャパオーバーになります。かなり大それた非日常的な女性像なので、それを投影された女性は「要望」に合わせてしまい、自分を見失ってしまう、とも考えられます。


自分自身の濃い・極端な感情を仕事や趣味などで消化・昇華させ、女性性の部分も自分自身の中で統合させることが、鍵となります。そうなることで、自分と同じように自立的な女性と出会えたり、関係が長続き出来たりするようになるかと思います。


ここでいう「自立」は、社会的な自立よりも、女性性・男性性を自分の中で統合する、

相手に過剰に理想を託さないという意味での、精神的な自立になります。


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自分にも一丁前に人間のふりしてた時期があったんだなあって。ベムベラベロのベロみたいな早く人間になりたいって思ってた時期あったんだなあって。もうそれすらも忘れてしまうようになってしまった

神はガキさ何も考えてない

「お願い〜、手突っ込んでほじくり出してー」


意識の外からの切実なSOSで目が覚めるとクレヨンしんちゃんのケツだけ星人の完コピをしてるのかと驚かされるルックで、顔面の至近距離に小振りな生尻が突き出されていた。うら若き乙女が家族や付き合ってもいない人間に見せる姿ではない。人間と猿とをはっきりと分け隔てる矜持みたいなものをここまであっさりと捨てさせる毒物の罪深さを呪って一度軽く目をつむった。


かくいうぼくもその罪の咎を惜しみなく全身に浴びざるを得ないことを即座に覚悟した。すべての骨と肉がバラバラに引き裂かれるような強烈な痛苦。底の見えない深すぎる悔恨と悶絶、罪を引き受けるのにこんなにふさわしい態度はなかった。


数刻前、毒物がもたらしてくれた至上のよろこび、至上の愛。神による抱擁、この世で最もやさしくやわらかい光に抱きしめられて、何に憤ることもなく何を憂うこともない時間に我々は浸った。現世において天国があるとするならばそれは今ぼくたちが横たわっているこの狭く小さいベッドの他にはないと確かな実感を得ていたのが、いまや前世より遥か彼方遠いことのように思えるのだった。


ただ。ただ、いまぼくの目の前で、人間が天然自然に備えているはずのすべての羞恥心をかなぐり捨てて、桃尻を振っているこのどうしようないカス同然のクズには、いくばくかの哀れみや同情心が湧かないわけはなかった。


「ほじったるからもっと近くに寄って」とせいいっぱいのやさしい声をかける。でも本当にやさしくできたかな。肛門に右人差し指を突っ込む。左手は添えるだけ。最初、コルクのようにコチコチに硬くなったものを苦戦しながらどうにかほじくり出すと、後は砂漠に噴き出す石油みたいに茶色く濁った排泄物がジェットで噴き出してきて、その3/4くらいが顔面にぶっかかった。ほじった人差し指を見てみる。昨夜食べた中華料理の具材だろうか、青々しいニラが指の爪に挟まっていた。たまらず爪先を鼻腔に送迎して匂いを嗅ぐ。強烈な便臭。ハードパンチャーに強烈なボデエブローを喰らったみたいに胃と食道が濃厚なディープキスをはじめて、こちらもジェット噴射でゲロを吐いてしまった。ゲロとビチ糞まみれになった狭く小さいベッド。ほんのちょっと前は(本当にちょっとか?神のみぞ知るだ)天国だった場所があっという間に地獄に様変わりした。胃を全部裏返しにめくったような激しい嘔吐でもう出てくるのは透明な酸のほかは何もなく逆流した涙と鼻水が混じって口の中に広がる。この世で味わえる最悪の味覚を20歳という若さでぼくは十二分に堪能することになった。

 

彼らに起こったことは「犬は自分の吐いた物に戻る」とか「豚は身を洗って、また泥の中にころがる」とかいうことわざどおりです。

-ペテロの手紙第二 2章22節


薄いカーテン越しに入ってくるやわらかい光がベッドの上に揺れている。窓のサッシが不動の影を作ってベッドと白い肌を横切る。この上ない静けさ。うつくしいとおもった。白い生ケツを天井に向けて力尽きたクズ同然のカスを見ていると急激に名状し難い愛しさが内から湧いてくる。左手は添えるだけ。谷の底に咲く一輪の小さい花にくちづけを添える。腐ったニラレバの強烈な悪臭。これ以上出てくるはずのない嘔吐を既に白くはなくなったシーツの上に何度も何度も繰り返しながらぼくは意識を失くした。


そうして彼女は冷たくなってコチコチに硬くなっていたらしい。そういうものだ。ぼくはその時そうなのだと知ったし、既に知っていたし、いまでも知っているままだ。そういうものなのだろう。命ははかない。花の香りを風が連れ去るよりも造作なく目の前から消え失せてしまう。そしてもう二度と戻っては来ない。そういうものだ。ぼくはそれだけを知っている。ほとんどすべてを忘れてしまったがそれだけは片時も忘れたことがない。まばゆい真っ白な光に満たされて、息もできないほど見つめあったふたり。運命の残酷な刃は永遠のはなればなれにふたりを引き裂いた。

 

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もう青い鳥は飛ばない

「どうなのよどうなのよー、最近デュラマの方はさ」

 

待ち合わせ場所である小田急沿線のその焼き鳥屋に10分遅れで到着したぼくは、謝罪も挨拶もなしでヘラヘラそう切り出しながら席についた。

 

「遅いって」友人からの苦情にはさしたる反応もせず、耳の裏に挟んでおいた煙草に火をつけて黒ビールを注文する。

「で、どうなんよ、その後の物語はー」1,2年ぶりの再会だったはずだが自分が聞きたい話題に最短距離でリニアに切り込みながら乾杯をした。

 

20代前半から異性の友人の恋愛話をサシで聞くのが病的に好きだった。ぼくはその恋バナを「物語」だとか「ドラマ」だとか「デュラマ」と呼んでは、自分が持つ交友関係のピリオド限界キワキワまで広く深く収集するフィールドワークを31になったその年もまだ続けていた。そのころ既に堂々とした10年選手のフィールドワーカーになっていたのだ。

 

ぼく自身の人生には軽く擦過するような接点しか持たないような女の子たち。彼女たちにとって真に大切で捨てがたい記憶や感情に触れると、BPMが200くらいになったエレクトリカル・パレードのテーマソングが脳内で自動的に爆音で流れ出して止まらなくなる。


youtu.be

 

鴨のたたきにスライスした生にんにくを包んで箸をつける。黒ビールで流し込む。煙草を手にとって煙を吐き出す。栗焼酎をロックで頼んで、脳内のエレクトリカル・パレードに身体を揺らす。みんな自分の聖書を一冊ずつ持っている。人生を捧げてノイズにくるまっている。

 

空白の1年強の物語収集に一段落がついた頃、今度はその友人が切り出した。「で、ゆんさんはどうなの?」

 

本来なら「いやいや、おれの話なんかどうでもいいんですよ」とか「あるわけないしょなんにもさ、このツラ見てわかんない?」とかそういう返答でお茶を濁すのだがその日は違った。

 

「聞いてくれますかー、待ってましたよその質問」と一切なんにも待ってなんかはいなかったが、後ろの流れを考えたときに盛り上がりそうだからとりあえずそう言ってもぞもぞと座り直して生唾飲むふりとかした。

 

「あるんすよ、まじでやべえよ。聞く覚悟出来てる?ちゃんとシートベルト締めてね」とか一切なんにも思ってないけど、場の温度上げるために適度な煽りを入れつつ、当時仲良くなりだし始めた女の子とのデュラマをひととおり語った。「Rezって曲あるじゃん。曲に例えたらまじそんな感じ、自分の人生をどこまでもドライブさせてくれるような気になる子なんだよ」

 

youtu.be

 

「確かにヤバそうだね。ゆんくんにそう言わせる子めちゃめずらしそうじゃん。会ってみたいわー」とか一切なんにもそんなこと思ってないんだろうなあという相槌をちゃんと打ってくれる。この国は会話に沢山の暗黙のマナー/コードが多くて本当に大変な国だと思う。

 

そして勿論、その時は本当に「Rez」みたいな女の子だなあとか人生をドライブさせてくれるなあとか真剣に思って真剣に興奮していたし、その期間は「デッカイMDMAの中で生活してるようなもん」だなーとか本気で感じていたのだが、その後いろいろあり結構すぐにやっぱりそんなの全然勘違いだったなって自分で了解することになった。

 

了解したけど、了解したあとも「競輪で穴当てたからさ」とか言いながら実は街金で金借りてお金に困っていたその子に20万円貸したり(結局1万2千円しか返ってこなかった)、最悪のゴタゴタを何回も何回も何回も繰り返したり、結局一回も付き合いはしなかったがダラダラ遊んでたな。

 

まあいい思い出も沢山あるし(きれいな光景も沢山見た)、その子が住んでた横浜という街についてもそれなりに知れたし、最低最悪のことをこっちも何度もしたし、ノーサイドだなって感じで、ぼくが東京から大阪に引っ越す時はその数日前に、最後だからつって恵比寿でビールを飲もうと呼び出した。再会は数年ぶりだったけどお互い全然気まずい感じもなんもなくて「来週大阪帰るのにこんなギリギリでこっちの女の子好きになっちゃったよー。どうすればええ、たふけて。ぴえーん」とか目に薄ら涙浮かべて相談したり「そんなのもうラブホ行っちゃえばいいじゃん」とマリー・アントワネットみたいな返答されたりして、ぽいなーって思ったの覚えてる。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」みたいな

 

話が大きくそれてしまった小田急沿線の焼き鳥屋に話を戻そう。「Rez」の話をしたあとに、その友達に「じゃあわたしは?わたしを曲に例えたらなに?」とかなり困った質問をされてしまった。で、弱ったなーとか思いながらも「いや、それはおれじゃなくて彼氏に聞かんと。そういうもんでしょ」とか我ながらナイス返しだなあとか惚れ惚れしてたら、「じゃあ聞いてみるわ」とiPhone3sで彼氏にメールしだしたから、ふたりで彼氏からのレスを延々と待ち続けることになった。

 

でも返信は一向に来ず、ふたりのビールジョッキだけが何度も何度も空になるだけだった。で、もうべほんべほんに酔っ払ってくるし、午前0時も近いしってんで「や、もう終電来るからおれもう帰るよ。彼氏にレス催促してみれば?」と言ったところでiPhone3sが震えた。彼氏からの返事だった。

 

ユーチューブのURLがただ貼ってあるだけのストイックなメッセージ。友人がクリックする。リンク先に移動する。動画がロード待ちになる。そして再生される。本当に走馬灯みたいなスローモーションで無言のふたりは息を呑んでその動画を見た。

 

youtu.be

 

嘘や誇張、一切なしの再生開始1秒で「あ、この曲て、、、」とその曲がなんの曲かわかったふたりは無言で目を合わせた。店内に爆音でかかるイントロ。これ絶対笑っちゃいけないと思って、頬の裏を強く噛む。天井を仰ぐ。

 

それでも全然駄目で笑ってるのバレないように自分が着ていたスウェットを思いっきり噛む。友達が座ってるのと逆サイドの右肩の部分。でもやっぱり声が漏れる。こらえきれない笑いで肩が震える。その友人の方を一瞥すると怒りでiPhone3sを持つ手がブルブル震えていた。なにか言って慰めなくては。

 

「いやいやいやー、人生をドライブさせてはくれないかもしれないけどさ、トリップさせてくれるって意味じゃん。すごいよ、羨ましいよ。」

と最後まで言ったところで結局耐えきれず爆笑してしまった。その子は怒り狂って閉店近い焼き鳥屋で暴れながら咆え散らかしてた。ぼくは会計だけして終電へと息を切らしながら急いだ。

 

「金以外の全部があったなあの頃は」